大学ぼっちでもソロ充がしたい

大学ぼっちは選択科目の一つだと思います。自身の大学ぼっち生活で得た経験をもとに、大学ぼっち流の”処世術”をお伝えしていきます。

【そもそも】大学ぼっちは辛い?

最初はやはり慣れなかった

確かに、講義室などで周りのグループが楽しそうに談笑しているのを見ると、負い目を感じることはあります。私も今ではあまりそんなこともなくなりましたが、大学ぼっちを始めた当初はとりわけ感じていました。「後ろのグループはひとりぼっちでいる自分を笑っているのではないか。。」というように、(実際はそんなことないのですが)不安になっていた時期が私にもありました。

 

それは恐らく、ご自身がまだ大学ぼっちであることに慣れていない、又はぼっちであることが”悪”であるとばかり思い込んでいることによるものでしょう。

 

隣の芝生は青く見える

周りのグループが楽し”そう”にしているのを見ると、つい彼らが本当に楽しんでいるように思え、彼らが模範的な大学生(光)であると錯覚し、それと対比でぼっちであるご自身がいわば”影”のような存在に思えてきて、自然と負い目や辛さを感じるかもしれません。しかし、「隣の芝生は青く見える」というように、彼らもまたグループの一員であることにより”影”の部分を抱えているものです。

 

ひょっとすると、集団に属しているメンバーの方が、集団の束縛感に辛さをおぼえて自由の身に憧れを抱いているかもしれません。「あの子は一人でいて、気楽そうでいいなぁ」なんて考えているかもしれません。(あくまで可能性)

 

深く考える必要はないかと。

負い目というものは、ご自身に対する自信のなさ、もしくはお言葉は良くないですが、自意識過剰からくるものだと私は考えています。特に、”ぼっちであること”に対する負い目はそれらが主な要因であると考えてよろしいでしょう。

 

勿論意思疎通や協調性が求められる場面でそれらが欠如している、というのは少々問題がございますが、大学内、とりわけ日常的(プライベート)な大学生活でぼっちを選択する、ということは決して問題のあることではないと個人的には思っています。最初は戸惑いや不安を隠せないとは思いますが、どうか自ら大学ぼっちを選択した方は自信を持ってください。

 

主体性が身につく、とプラスに捉える

一人で生活する以上、他人に依存しない姿勢、主体的な行動が一定数求められます。これは、今後社会に出る学生を大きく成長させるものでしょう。(勿論他の場面で協調性を育むことも大事ですけどね。)私も、現在のぼっちライフで得た行動力、客観性を今後の人生で少しずつ生かしていけたら、と考えています。なんにせよ、一人でいることを悲観視し過ぎないことが大切です。