大学ぼっちでもソロ充がしたい

大学ぼっちは選択科目の一つだと思います。自身の大学ぼっち生活で得た経験をもとに、大学ぼっち流の”処世術”をお伝えしていきます。

3年間の大学生活を振り返ってみて~ぼっちの回顧録1年編~

さらば大学生活

以前の記事でも申し上げたとおり、私の3年間の大学生活がつい先日終わりました。来年度は実家から月に数回程度遠距離通学をするのみであるため(社会人の出張感覚です)、真っ当な大学生活というのは今年度が最後になります。

 

今現在は間もなく控えている引っ越しの準備に追われているところですが、今回は息抜きがてらこの記事を書いていこうと思います。

 

右も左もわからないまま迎えた大学生活

私は「大学生活」というものに対して、高校以前から実像を全く把握していませんでした。それは将来の目標を持たず、ただ目の前の物事を消化していた高校以前の自分の性格に起因するものです。「大学に入ること」が目標になってはいけないと思った当時の私は、ひとまず「夢や目標を見つけるために大学に入る」ことにしました。

 

無事に現在の大学に合格した私ですが、その次に取るべき行動は何なのか、という問題に直面しました。

 

相次ぐ「これじゃない」感

実際に大学の講義が始まり、必修や語学のクラスメイトとはそれなりに話すようにはなりましたが、話のテーマに度々浮上するのが「サークル(部活)」です。私の大学にも数多くのサークル団体が存在し、周りの学生も新歓パーティー(コンパ)に参加して所属グループを決めている頃合いでした。

 

当時の私はまだ、正真正銘のぼっちになる前の段階でしたので、2,3のサークルの新歓に参加していました。ただ、そのいずれも「ここに入って大学生活を謳歌したい!」というほどのものではなく、また面倒くさがりな性格を持つ私は次第に、サークルに所属する意欲が消えていきました。

 

周囲の人たちからも「ノンサー(サークルに所属しないこと)はやめたほうがいいんじゃね?」と言われることもあり、実は1年の秋くらいまで、数少ない知り合いのツテを辿ってサークルにお邪魔したりしたのですが、結局本入会することは一度もありませんでした。

 

つかの間の「快楽」

高校以前は部活動に所属していた私にとって、「授業が終わった後即帰宅」という感覚は新鮮で、率直に申し上げて好きでした。また、その頃は同時に一人暮らしが楽しくなり始めたタイミングでもあり、1年の夏前まではフリーダムな生活を謳歌していました。それまで触れてこなかった漫画・アニメ作品に入り浸ったり、たま~に語学の友人宅でゲームをしたり、気が向いたらゲーセンに足を運んだり。1年前までの受験生活の反動のごとく、当時は頭の中を空っぽにして目の前の物事を楽しんでいました。

 

私が高校以前にわずかに抱いていた「大学生活像」として、「有り余った時間を持て余す」というものがあったのですが、この頃はまさに、そのイメージ通りの生活を送っていました。

 

夏休みを終え、秋頃から感じ始めた「不安と焦り」

大学1年の夏休みは、特に何もしませんでした。講義をすべて消化した私は、少しの間東京近郊を観光した後すぐに実家へと帰省しました。唯一そこでしたことといえば、地元の塾で夏期講習の間アルバイトをしたことでしょうか。

 

さて、最初にも申し上げた通り、私は「夢や目標を見つけるため」に大学に入りました。が、大学1年も半分が終わり、私はそれらしいことを何一つできていません。さすがにそろそろ考えないとなぁ、と思うようになったわけですが、いざ考えようと思ってもなかなか難しいもので、何も思い浮かばない私は次第に「焦り」を感じるようになりました。

 

同時に私は、大学での学習内容についても疑問を抱き始めていました。「これが本当に私のやりたいことなのか」「これを学習して将来どうなるというのか」そんな雑念に駆られ、それらはやがて将来への「不安」となっていきました。

 

落葉の時期、私は不登校に

前述の「不安と焦り」に耐えかねた私は、まるで逃避するかのように、大学に行かなくなりました。人生初の「不登校」経験になります。当時は「少しでも有意義な時間を過ごしたい」という思いから、大学の講義をそっちのけで、自動車学校の教習に足を運んでいました。

 

また、この頃は大学の編入なども視野に入れて、情報収集をしていました、「技術やスキルを身につけたい」と考えていた私は、ITパスポート試験に合格していたこともあって情報系の学部への編入を検討していました。実際に名古屋大学・静岡大学の編入学試験の要綱などをチェックしていて、各大学の事務所に編入試験の過去問を拝見しに行こうとしていました。

 

その後母校の「副専攻」制度を知り、現在の大学で情報処理について学ぶことができましたが、この制度について知らなかったら恐らく、編入学試験を受けていました。そして万一それらに合格していたら、私は今頃名大生・静大生だったかもしれませんね。かなり狭き門なので厳しいかな、とは思いますが…。

 

何度も似たような話をしてすみません

これが私の大学1年の総括といったところでしょうか。以前も似たような話の記事を出しているので、「またこの話か」となった方は申し訳ありません。結果論からすれば、大学生活3年間のうちの災厄がほとんどこの1年に凝縮した形になったと思います。今回は触れませんでしたが、新入生向けのパーティーでつまずいて浮いてしまったり、陸上競技をするうえで足のケガが再発したりと、とりわけ大学入学直後は散々でした…。

 

そんなこんなで孤独を極めていき、翌年からは「大学ぼっち生活」が始まることになるわけですが、これに関しては「ケガの功名」とも言えるべきことだったと今振り返っても感じます。また気が向いたときに、回顧録2年編も出そうと考えていますので、もしよろしければいずれそちらもよろしくお願いします。

 

最後までご覧になっていただきありがとうございました!!

【入試】かつてセンター試験で失敗したときのお話

試験お疲れ様でした!

センター試験を受験された皆さま、本当にお疲れさまでした!!

 

2日間の日程を終え、自己採点を済ませた方もいらっしゃるでしょう。試験の手応えは人によって様々ですよね。「上手くいった」という人もいれば、「ヤバい…」という人もいると思います。

 

ちなみに、私が受験生だった頃は後者でした。2日目の日程を済ませた夜、同級生の友人と近所のファミレスで一緒に自己採点をし、ものの10分程で絶望の淵に精神が突き落とされましたことを今でも覚えています。

 

ターニングポイントでの失敗は痛いけど

とりわけ国公立大学を志望している学生の皆さんにとって、センター試験は重要な役割を果たすものになってきます。当時の私も国立大学志望でしたので、受験勉強においてはそれなりにセンター試験に向けた対策に力を入れてやっていました。

 

その過程を経ての失敗は、より心に重くのしかかりました。「センター試験の失敗」を「受験生活の終わり」と同様に捉えていた当時の私は、センター試験の翌々日からしばらく、高校に足を運ばず(当時は午前中授業でした)、自宅の部屋に籠もるようになってしまいました。

 

計画が破綻したからこそ、踏み出せた決意

受験生の中には「センターで○○○点くらい取れたら、この大学のこの学科に出願しよう」という感じで志望校を見定めている方も少なくないでしょう。当時の私もそうでした。が、センター試験で思うような点数を取れなかった私は、事前の計画では想定していなかった点数を出してしまったことにより、出願する大学をどうするべきか分からなくなってしまいました。

 

結局、国立は地元の大学に出願しました。今だからこそ申し上げられることですが、当時の私は完全に戦意を喪失していたので、「移動が楽だから」という安易な理由でそこの大学に出願したわけです…。

 

国立大学を半ば諦めていた私は、何とか気持ちを切り替えようと、控えている私立大学の受験の方に意識を向けようとしました。そこで何とかモチベーションを上げていこうということで、出願の締め切りギリギリで新しくもう一校、受験校を追加致しました。

 

”記念受験”に力を注いだ結果

追加で出願した大学は、私にとっていわゆる「挑戦校」であり、かつて受験を検討していたもののすぐに断念した大学でした。躍起になっていた当時の自分は、半分「記念受験」といった意味合いを込めてその大学に出願し、残された時間の中でその大学の試験対策に取り組みました。

 

結果として、その大学が今現在、私が通っている大学となります。センター試験のときとは異なり、「ダメで元々」という具合に開き直っていたことにより緊張感もほとんどなく、当日は自分の実力以上のものを発揮できた感覚を今でも覚えています。

 

常套句にはなってしまいますが…

受験勉強に追い込まれていると、どうしても大学に入る、ということに重い意味合いを求めがちになります。実際、「受験生活のゴール」としては「大学合格」が一つの到達点になりますので、それはある種自然の現象といえるでしょう。

 

ですが、人生を長いスパンで捉えてみると、「大学合格」はひとつの通過点に過ぎません。センター試験で爆死した直後の私には、その考え方はとても呑み切れないものでしたが、それから3年が今現在は、「通過点」という表現も自然と呑み込めるようになりました。

 

結果として希望の国立大学には進学できなかった私ですが、今現在進学先の大学で順調に大学生活を送れています(ぼっちにはなりましたが)。また、入学時に目標としていた「将来のビジョンを設計する」ということも、紆余曲折はありましたが最終的には達成することができました。

 

もしも今現在、センター試験で失敗して絶望している、という方がいらっしゃいましたら、ひとまずは最後まで今の受験生活を完走してみることをお勧めします。なかなか失敗した直後は気持ちの切り替えが難しいとは思いますが、ひとまず落ち込むだけ落ち込んで、もう落ち込み切れない、となったところで気持ちを入れ替えて、是非受験勉強を完走してみてはいかがでしょうか。同じ経験をした者として、皆さんのお気持ちを察するとともに、そっと背中を押すことができれば幸いです。

大学ぼっちと成人式

1月の第2月曜日は”成人の日”

20歳になった人たちにとってある種キーポイントとなるイベントが成人式です。皆さんが「成人式」と聞いて思い浮かぶイメージは様々だと思います。

 

成人式についての疑問のひとつとして、「出席すべきか否か」というものが挙げられるでしょう。特に地元を離れて生活している人にとっては、「わざわざ式のためだけに実家に戻るのは面倒くさい」と考える場合もあると思います。また、それ以外にも「当時の同級生に会いたくない」とか「行くだけ無駄」という消極的な理由から成人式を忌避する人もいらっしゃいますよね。

 

そこで今回は、昨年成人を迎えた私が、式についてどう捉えていたか、また実際に式に出てみてどう思ったか、回顧録程度にお話したいと思います。

 

最初は出席する気が起きなかった

先ほどもちらっと申し上げましたが、結果として私は式に出席しました。ですが、式を迎える直前までは正直、「欠席しよう」と考えていたのです。それは単純に、「大した思い入れもない同級生たちに会うのも億劫だし、行ってもしょうがないよなぁ」という思いからよるものです。

 

私の小学校生活は、至って平凡なものでした。久々に会いたい友人もそこまでいませんでしたし、数少ない”友人”と呼べる間柄の人たちとは今でも連絡を取って会うこともあるので、何も成人式で会う必要はないだろう、と考えていました。中学についても同様です。

 

家族に関しても、出席を強要することはありませんでした。ただ、心の中ではどう思っていたのか、それについてはやや疑問は残りますね。

 

徐々に気持ちの変化が

しかしながら、いざ成人式の出欠票が郵送されてくると、その思いが少しずつ変化していきました。なぜそのような気持ちになったかは不明ですが、どことなく「欠席することで同級生から逃げることになるのではないか?」という思いに駆られました。

 

今考えてみても、それは正しくはないと思います。別に成人式を欠席したからって、それが”逃げ”となることはないでしょう。が、何故か当時の私は、それが気に食わなくて意地になって「出席」に〇を付けました。

 

再三申し上げますが、欠席=”逃げ”ではありません。むしろ出席して嫌な人に会うくらいなら、例え”逃げ”だとしても欠席した方がいいと思います。これはあくまで、当時の私が躍起になっていたことによる思考展開です。

 

結局迎えた成人式当日

私の地元では、市町村単位より細分化されたエリアで式が催されます。すなわち、人数自体は少ない分、周りには知り合いが多くなる、ということになります。

 

実際に会場に来てみると、「こんな顔のヤツいたっけ?」という思いに何度もなりました。つまり、あんまり覚えていない同級生が何人もいたりして、「よぉ久しぶり」以前の問題に直面することになりました(笑)結局、卒業後も連絡を取り合っている人同士で固まることになり、式に対する緊張は拍子抜けとなりました。

 

出席してよかったこと

ただ、良かったこともありました。私立中学に進んだ人との再会です。私は地元の公立中学に進学したのですが、小学校の頃仲良くしていた少ない友人の中には私立中学に進んだ同級生もいて、かといってその後連絡を取っていたわけでもなく、この成人式が本当に久しぶりの再会の場となりました。

 

「Naganoか?」とその子から声を掛けてきてくれて、それからしばらくお互いの中学・高校の頃の話をしましたね。公立中学に進んだ私とは異なり、その子にとって小学校の頃の同級生と遭遇するのは本当に久しぶりのことですので、きっと私以上に緊張していたはずですが、それでもこうして話すことができたのは非常に嬉しかったです。

 

最初は悪いイメージが先行してしまうけど

私も式に出席するまでは、「かつてのやんちゃ坊主に絡まれないかなぁ」とか「浮かないかなぁ」というように悪いイメージばかり抱いていましたが、そのせいで、式が久々に私立進学組と会う機会でもあるということを忘れかけていました。事前に抱いていた懸念はそこまで現実のものになることはなく、結果としては出席してよかったかな、という思いになりました。

 

成人式については、人それぞれ置かれている環境は異なりますので、出席した方がいい、といったような確定事項は存在しません。特に出席したくないなぁ、と考えている人にとっては、「出ろ」と言われることが苦痛な場合も多いでしょう。従順に出る必要はないと思います。

 

しかしながら、先の私のように、悪いイメージばかりが先行して起こり得る良い出来事をついつい見逃している、ということはあるかもしれません。一度先入観を取っ払ってみて、客観的に式のことをイメージして、それからじっくり出欠を検討してみるのも悪くはないかな、ということだけお伝えして今回はおしまいにしようと思います。

 

最後までご覧になって頂き、ありがとうございました!

【大学】3限始まり6限終わりという黄金時間割

自ら時間割を組まなければならない大学

大学では高校以前と異なり、与えられた講義要項(シラバス)をもとに自ら授業を選択して時間割を自ら作成する必要があります。大学に入って間もない頃は、私も時間割の作成に苦悩した記憶があります(今もそれなりにですが)。必修科目のように予め時間割が固定されているものを除けば、どのような時間割が自分にとってベストなものになるのか、というのは悩みどころですよね。

 

これまで私はいくつかの時間割のパターンを経験しました。午前中に授業が終わるものや間に複数の空きコマが発生するもの。それぞれにメリット・デメリットはありましたが、それらは個人によってバラつきが出てくると思います。今回はそれらに関しては割愛させて頂きますが、かわりに私が考える「ベストな時間割」について、記事にしていきたいと思います。

 

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私が思う、ベストな時間割

記事のタイトルでネタバレしていますが、個人的には「3限始まり6限終わり」というのが今まで経験した中で最も好みの時間割になります。この時間割には空きコマがなく、3限・4限・5限・6限を連続して受けるというもので、一見するとハードに感じますし、実際6限ともなると疲労感を覚えます。

 

その代わり(といってはアレですが)、3限始まりということで午前中はゆっくり休むことができる、というのが利点です。私の場合は、朝方はゆっくりと目を覚まし、午前中に課題があればそれらを消化し、なければネットサーフィンをして時間を潰します。その後大学の2限が終わる少し前の時間帯を狙って、まだ空いている学食で早めの昼食を摂り、昼休み中に3限の教室に移動し、余裕を持って席を確保する、といった具合です。

 

午前中にゆとりがあるのは大学生にとって大きなメリットになると思います。朝に弱い人、前日の夜遅くまでアルバイトがあったりした人でも、3限始まりであれば遅刻する可能性も激減するでしょう。

 

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せっかく大学に行ったのであれば講義を”消化”したい

私はこれまで2限”だけ”とか「2限と4限が講義で3限は空きコマ」といった感じの、いわば楽々な時間割も経験してきました。これらは大学にいる時間も短く、確かにお手軽な感じはあるのですが、遠方から通学する人にとっては「講義1つのためだけに大学へ行くのか…」といった具合に徒労に感じるものにもなります。またそうでない人も、良くないサボり癖がついてしまうと「今日は1限しかないし大学休むか!」といった気持ちになることも少なくないでしょう。

 

これは個人差が出てくるとは思いますが、私は「折角大学に赴いたのであれば、1個だけでなくたくさんの講義を消化しちゃいたい」と考えるようになりました。今回私が提示した「黄金時間割」では、4限分の講義を消化することができます。また、間に空きコマもないので、途中で帰宅する、という欲望もある程度抑えることが可能です。

 

6限の時間帯は割と落ち着いた雰囲気でよろし

大学の講義を受けるにあたって、「人が多くてうるさいのがイヤだ!」と思う人も少なくないでしょう。大講義室で行われるような比較的規模の大きな講義では、友達同士や先輩後輩で集まって講義を受ける人たちも少なくないと思います。それだけならいいのですが、授業中にも関わらず構わず私語を発したり、周囲の迷惑を気にしないような人たちが(大学生にもなって)いたりします。幸い私の大学学部ではそういった連中は極少数ですが、このような大講義室の雰囲気を嫌う学生さんもいらっしゃるでしょう。

 

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そんな方たちにお勧めしたいのが夕方以降の講義、私の場合は18時15分から始まる6限の講義です。この時間帯になると、キャンパスにいる学生の数も少なくなり、講義室の規模も小さくなってきます。また、前述したようなおちゃらけ大学生の皆さんは、この時間帯ともなると街へ出て飲み会に精を出し始めます。彼らにしてみればそっちが本業でしょう!私が現在受けている6限の講義も落ち着いた雰囲気で、先生の声を子守歌にウトウトしてしまいそうになります。それはともかく、真面目な雰囲気を好まれる方にとっては、夕方以降の講義の雰囲気は本望でしょう。

 

他の曜日にゆとりが生まれるというメリットも

また、ひとつの曜日にある程度講義数を集中させることで、他の曜日にゆとりを持たせることが可能になります。上手い具合にいけば「全休」の曜日も作れたりするでしょう。下手に週の中で講義数を分散させるよりも、特定の曜日に講義を凝集させたほうが、大学に行く手間を抑えたり、無駄な空きコマを作らずに済んで効率的かもしれませんね。

 

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時間割作りに正解はない

最初に申し上げた通り、時間割作成におけるメリット・デメリットは個人によって様々ですので、どれが正解、といったようなことはありません。今回の「3限始まり6限終わり」という時間割も、あくまで私にとっての「黄金時間割」であり、他の方にとっては「これマジ?」と思えるものかもしれません。

 

時間割の作成に当たっては、皆さんの中で優先順位を考え(「空きコマがない方がいい」、「午前中はゆっくりしたい」など)、それらに基づいてできる限り時間割を理想に近付けるのがベストではないでしょうか!

 

以上でぼっち大学生による時間割解説はおしまいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

【一人旅】寝台特急に乗って高松に行ってきました。

大学の休みを利用して

いよいよ12月に入り、2018年とのお別れも近づいていますが、皆さまどのようにお過ごしでしょうか?私は12月に入り、大学の時間割がチョロっと変わってなんと平日に2連休を勝ち取ることができました。(その分授業がある曜日はハード)これをうまく利用したいと思った私は、前々からの願望であった「寝台特急を利用して旅行をする」という計画を実行に移すことにいたしました。

 

かつては北斗星トワイライトエクスプレスなどといった寝台特急が当たり前のように走っていた日本ですが、近年ではその姿もレアなものになってきて、どちらかというと「馴染みのない」乗り物になってしまったでしょうか。しかしこれにより、単なる移動手段ではなく「寝台に乗ること」を目的にそれらを利用する方の数が増えてきたのではないか、と思われ、事実今回の私もこれに当てはまります。(鉄道にはさほど詳しくないため情報に不備があったらすみません)

 

サンライズ瀬戸に乗り高松へ

今回の旅行で私が利用したのは東京~高松間を結ぶサンライズ瀬戸」号です。私は下り列車の始発駅である東京駅から終点の高松駅までフルで利用しました。サンライズ瀬戸号は途中の岡山駅まで同じく東京から出雲市方面へ向かう「サンライズ出雲」号と連結して走行し、岡山で両者は切り離されます。

 

私自身初めての寝台列車でしたので、ワクワクしながら東京駅のホームで入線を待っていました。

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私が今回利用したのは列車の客室サービスとして一番多くの割合を占める「B寝台シングル個室」です。部屋は連結部の傍である7号車にありました。

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車両に入り、個室の中に荷物を置いた私はひとまず洗面台で歯を磨きました。シャワーも浴びようかと考えましたが、翌日の昼前に高松市内の仏生山温泉に行く計画を立てていたので、列車内では浴びませんでした。

 

乗ってみた感覚としては

個室に入って最初に感じたのは、内装の清潔感でした。かなりコンパクトにしたホテルの一室、といった具合で心地よさを感じました。また、人それぞれ感覚は違ってくると思いますが、私としては部屋の広さ(狭さ)も特に気にならず、快適な体勢でくつろぐことができましたね。

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車体の揺れに関してですが、私は2階の部屋を利用しており、うつ伏せになってくつろぐとそれなりに揺れを感じました。ただ仰向けの体勢ではさほど気にならなかったです。

 

部屋の明かりを消すと、通過する駅のホームのライトがかなり明るく感じましたね。高速で光が移るので、「今○○駅を通過しているな」というのがよく分かりました。列車が沼津駅を出発したあたりで私は寝落ち、いったん愛知県の大高付近で目が覚め、珍しい名古屋駅通過の様子を目にし、信号待ちか何かで停車した無人の岐阜駅の写真を撮ったあと私は再度寝落ちしました。

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早朝、目が覚めた頃には岡山の目の前

次に目が覚めたのは午前6時前、岡山駅の到着を前にしていた頃でした。この日は列車も遅れなく順調に走行しており、私が目覚めた直後にその旨を伝えるアナウンスがありました。サンライズ出雲号との連結切り離し作業の後、先に瀬戸号が岡山駅を発車。児島、坂出と停車した後7時半ごろには高松駅に到着しました。

 

私は昨年の9月にも高松に来ており、記憶が新しいうちに再度この地を訪れることができました。

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高松に着いた私はまず、固まった体をほぐすことも兼ねてサンポート方面を散歩することにしました。そして港のシンボルである赤灯台を見ることができたら、と思い足を運ぼうとしました、が……。

 

この日の朝は霧が凄かった!!!

サンライズ号が瀬戸大橋を渡っている頃から、窓の外に目を向けると霧がかかっており、結局高松に着いてもそれが切れることはありませんでした。「一寸先は闇」ではなく「一寸先は霧」といった具合で、Twitterのトレンドにも「霧」と打つと続いて「香川」という検索候補が出るといった感じでした。せっかくの瀬戸内海も霧に隠れてしまい、赤灯台へ向かう道も安全性を考慮して封鎖されていました……。やむを得ないので、ひとまず赤灯台は諦め、帰りに再トライすることにしました。

 

サンポートを後にした私は、琴電の「高松築港駅」のそばにある玉藻公園高松城跡)」を訪れました。

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2枚目、3枚目の写真からも、霧がかかっている様子がご覧になることができるでしょうか。かつての高松城は瀬戸内海に面した水城として特徴的な構造をしており、海水の通った外濠には「鯛」が生息しているようです。残念ながらこの日はお目にかかることはできませんでした。

 

頃合いを見て仏生山へ

高松築港駅の通勤通学ラッシュを横目に私は玉藻公園を逍遥していましたが、時間を見て私は琴電に乗車し琴平線仏生山駅を目指しました。

 

駅から歩いて10分ほど歩いたところにある「仏生山温泉」に向かい、平日11時の風呂開きと同時に入浴しました。こちらはモダンなデザインでゆとりのある空間を大いに活用した休憩室もあり、また露天風呂も自然と融合した温もりのある雰囲気でとてもリラックスすることができました。しかし痛恨の写真撮り忘れ。。。まったりし過ぎちゃいましたね。バスタオルは持っていたのでフェイスタオルを購入し(150円だったと思います)温泉を堪能してきました。

busshozan.com

温泉を後にした私は、香川のソウルフードでもあり、また自身の大好物でもあるうどんを食しました。お肉が乗ったぶっかけうどん(冷)だったのですが、これも痛恨の写真撮り忘れ。。食べることに集中し過ぎてしまった。

 

栗林公園のリピーターと化したぼっち大学生

食事を済ませた後は、昨年の訪問の際にも立ち寄った庭園栗林公園に今年もお邪魔しました。こちらの庭園、本当に大好きです。

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広大な敷地をフルに活用し、様々な顔を持つ栗林公園。皆さんも香川に、四国に訪れた際はぜひご覧になってください。

 

マリンライナーに乗る前に、もう一度サンポートへ

岡山に戻る前にまだ時間があったので、私はこの日の朝見ることの出来なかったサンポートのシンボルである赤灯台を一目見ようと、再び港へ向かいました。実はこの日は雨の予報だったのですが、早朝に霧に覆われて以降、栗林公園で通り雨に降られた以外は天気には恵まれており、夕方には雲も切れて晴れ間がのぞいてきました。これは期待できる…!

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やったぜ。

朝は霧により見ることの叶わなかった灯台、夕方にその姿を拝むことができました。左手に見えるのは女木島でしょうか。

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灯台のふもとに辿り着くまで結構歩きました。地元の方が何名かジョギングされていましたね。素晴らしいランニングコースだと思います。(自分も毎日ここで走りたい)

 

目標を達成した私は、マリンライナーに乗って本州(岡山)へ戻りました。列車の中ではウトウトしてましたね(笑)

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駅前のイルミネーションが綺麗でした…!!

 

寝台を楽しみ、高松(と岡山)も楽しむことができた旅行でした。恐らく今回の旅行が年内最後の遠出になるかと思いますが、素晴らしい一年の締め括りになりました。お世話になった皆さまにお礼申し上げます。

【2018/11】近況報告

また更新が空いてしまいました

ここ2週間ブランクを作ってしまった私ですが、この間私が何かをしていたかというと、残念ながら特筆すべきことはありません。学生生活を淡々と送っていました。単位取得のために大学へ赴き、出席点を確保し、講義が終わり次第足早に大学を去る、といった日々の連続です。。

 

学外での活動では、先日何度目かのTOEICテストを受けてきました。前回はリーディングセクションで残念な結果を叩き出してしまったので、今回の受験に当たってはこれまでで一番対策に時間をつぎ込み、本番に挑みました。それが結果に結びつけばな、と思うばかりです。

 

引っ越しの足音も聞こえ始める

前にも申し上げた通り、私は今期の大学の日程が終わり次第、現在一人暮らしをしているアパートを払い、地元での就職活動に勤しむ予定になっています。来年は「卒論」の作成に当たって不定期に大学に赴く計画になっているため、毎週決まった講義を受けに行くような、いわゆる一般的な大学生活を送るのはあと(実働期間にして)2ヵ月弱となりました。

 

それに伴い、ほんの少しずつではありますが引っ越しに向けた部屋の整理をし始めました。引っ越しに際してはなるべく荷物は少ない方がいい、ということで断捨離をしています。履き潰した靴を処分したり、ホビー品を中古屋に買い取ってもらったり(泣)

 

引っ越しの前の思い出づくりも少々

一度引っ越してしまえば、ときどき大学に赴くとはいえこちら(現在の住処)周辺の観光地を訪問する機会がめっきり減ってしまいます。そうなる前に、まだ行ったことないエリアを散策したりしていました。というのも、ここ1週間ほどは大学の秋タームと冬タームの入れ替え期であり、時間割にブランクができたので、その時間を有効活用して各地を逍遥してきました。

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遠出をせずとも、各地で色々な風景を見ることができて楽しかったです。少しは「ソロ充」ができたでしょうか?(笑)

 

これからの予定として

来週はまだ遠出の旅行をしたりといった具合ですが、その翌週からは冬のインターンシップが控えています。いずれも1DAYの短期的なものではありますが、夏休みのとき同様貴重な経験ができればと思います。

 

冬休み前にもタイミングを見つけてブログを更新できたら、と考えておりますので、その際は是非とも目を通していただけたら幸いです。今回はこの辺りで失礼します!

【一人旅シリーズ】東北旅行!~人生初の岩手・秋田へ~

大学に入って以降初の東北地方へ

10月末の週末を利用して、小学生の時以来の東北地方に行ってきました。その当時は仙台・松島辺りを旅行し、あおば通の並木と松島の海岸がとても綺麗だったことを記憶しています。また、当時は宮城県が旅行した中で最北の地でしたので、今回初めて岩手県秋田県を訪問することになります。

 

金曜日の大学の講義を終えた後、久々となる東北新幹線に乗って岩手県北上駅へと向かいました。北上ではシンプルに一泊するだけの目的でしたが、ホテルが北上川のすぐ側で、その景色も楽しみにしていたところでしたが、さすがに夜は真っ暗で何も見えませんでした。

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土曜日の朝、ホテルチェックアウト後

翌朝、ひとまず北上駅のロッカーに荷物を預けた私は、東北本線に乗って平泉へと向かいました。平泉といえば金色に輝く金色堂がシンボルの中尊寺が有名なように、平安時代奥州藤原氏が繁栄を築いた地になります。私が中学の頃初めて奥州藤原氏の存在を知った時、都(京)からずっと離れた奥州の地で都さながらの繁栄を築いた藤原氏にかっこよさを覚え、当時の中二病心がくすぶられていました。それ以来、いつの日か奥州の地を訪れて中尊寺毛越寺に行ってみたいと考えていましたので、今回の旅行でその夢が果たされることになりました。

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2011年に平泉周辺が世界遺産に登録されたこともあってからか、あいにくの雨にもかかわらず多くの観光客が中尊寺に訪れていました。駐車場横の坂を上り、本堂を参拝し、さらに奥に進んだところで資料館と金色堂の入館ペアチケットを購入し、それら二か所を堪能してきました。両者とも内部では撮影NGですので、ご注意ください。

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金色堂を含む装飾物の豪華絢爛ぶりにも感嘆しましたが、それ以上に私が感じたのは平泉という土地の広大さでした。中尊寺に限らず、毛越寺や高舘も含め広大な敷地のもとかつての藤原氏が繁栄を築いていたと考えると、そのすごさが改めて実感できました。

 

北上にもどった後、北上線で横手へ

JR平泉駅に戻った私は、駅前で昼食を済ませた後再度東北本線で北上へと向かい、預けていた荷物を取りに戻りました。ちなみに、平泉駅には改札にICカードの読み取り機がございますが、下り(花巻・盛岡)方面ではICカード利用できませんので(2018年10月時点)くれぐれもご注意ください。

 

北上駅からは北上線を利用して秋田県横手に向かいました。車窓の田園風景を眺めながら快速電車に揺られること1時間余り、横手に到着しました。横手では2時間ほど時間をつぶす必要がございましたので、駅から横手城まで市内を散策しつつ向かいました。お城の天守がある裏側の場所にはダムと自然が広がっており、周りに人もいませんでしたので気分転換に叫びたいという衝動に駆られましたが、やめました(笑)路肩に「クマ出没注意」と書かれた看板を見たときは慄きましたね。地元では「ハチ注意」はよく見ましたが「クマ注意」は初見でした。

 

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横手で時間をつぶし、鈍行で秋田へ

そんなこんなで時間をつぶした私は、奥羽線に乗って秋田駅へと向かいました。市内に住む中学時代の友人のアパートに泊めてもらう約束をしていたのです。夕方に横手を出て鈍行列車に揺られること1時間余り、秋田駅に着きました。写真は駅構内に飾られていたなまはげ氏。

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駅の中央改札口で待ってくれていた友人と再会し、私たちは県の郷土料理である「きりたんぽ鍋」比内地鶏を堪能しました。写真を撮り忘れてしまったのが悔やまれる……。

 

レストラン街の一角にあるお店に入ったのですが、たまたま隣の席に座っていた男子大学生らしき2人組も、我々と同じく県外から来た人とそれを迎えた地元の学生、といった感じでシンパシーを覚えました。

 

友人宅で一泊、翌朝は悔やまれる雨

食事を済ませた後、友人の大学生活の話を聞かせてもらいながら友人宅へと向かいました。彼の住むアパート近くのスーパーに寄った際には、学部の同級生に遭遇したらしく一言二言交わしていました。大学生活の話を聞いたりしてても「大学生やってんなぁ」といった感じで、羨ましくもなりました。ちなみに私は大学生活に関して「平和にやってるよ」とだけ話しました(笑)それ以外にあまりないですからね……。

 

私がちょうど彼のもとを伺ったときにもいろいろ忙しいイベントを消化した直後だったようで(泊めてくれてありがとう)、また私自身も長時間の移動でかなり疲労があったため、夜は早めに就寝しました。翌朝、普段より寒い感覚に目が覚め、ふと外に目をやると小雨が降っていました。その後も雨が止んだり強くなったりの繰り返しで、天気の移り変わりの早さに少々驚きを感じました。

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目的地を変更し、仙台へ

当初は角館、田沢湖辺りをウロチョロする計画を立てていたのですが、天候がさえないことからそれらの場所を断念して目的地を「仙台」へと変更しました。太平洋側は天気も良さげなようで、また私自身も小学生の頃以来久しく仙台には行く機会がありませんでしたので、その際に終バスを逃して見ることが叶わなかった伊達政宗像」を一目見ようと決めました。

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秋田駅からこまちに乗車し、盛岡を過ぎた辺りからは雲も切れて青空が見えてきました。実は盛岡で乗り換えて「遠野物語」で有名な遠野に行こうかな、とも考えたのですがそれはまたの機会にしました。田沢湖なども含めて来年は行ってみたいですね…!それまでに遠野物語も一読しないといけませんね。

 

お昼前に仙台に到着。私にとって11年ぶり2度目の杜の都です。最初は駅に着いたタイミングでお昼ご飯を食べようとも考えましたが、人も多く何よりお昼時でしたので、先に仙台城跡へと向かいました。朝方雨が降っていた秋田とは打って変わって仙台は晴れており、適度に風もあり心地よかったので私はあおば通の散歩も兼ねて徒歩で城跡へと向かいました。

 

割と遠かったゾ!

駅を出てひたすら西の方へと歩を進めました(もののけ姫かな?)地図を見る限り「2キロちょい」といった具合でしたので30分もあれば行けるかなと高を括っていましたが、城跡周辺は坂が続き思ってより足が疲れましたね(笑)

 

その代わりといってはアレですが、道中の散歩はとても心地よかったです。紅葉一歩手前の並木道を抜け、川を越えて坂道を登り切った先に、目的の男はいました。

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 11年越しにやっと出会えたマサムネさんです。お目見えしたときは感無量でしたね。政宗像周辺では地元の方々が踊りを披露されていました(すずめ踊りだったかな?)、観光客の皆さんも(私も含め)楽しそうにご覧になっていましたね。また、さすがに高台に登っただけあって城跡からの景色も良かったです。仙台市内を一望できました、かつての政宗はどのような景色を見ていたのでしょうか。

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その後は市内の各所を巡り、帰路へ

目的の政宗への謁見を達成した私は、その後地下鉄に乗って市内各所を巡りました。ちょっと足を伸ばして松島にも行こうかな、と一度は考えましたが、これ以上移動が伸びるのはしんどいなぁということで仙台駅からほど近い場所を幾つか巡ることにしました。

 

一通り巡り満足した頃には日も傾きかけていました。日曜の夕方ということもあり新幹線の指定席は満席尽くめでしたので、帰りはやまびこに乗ってのんびりと戻りました。夕焼けの白石蔵王駅周辺が綺麗で心が温まりましたね。家に着いた頃には移動続きともあってさすがにヘロヘロでしたが、素晴らしい3日間を過ごせたと思えば、そんな疲れも忘れることができました。

 

また行きたい…!

大学を卒業する前に、もう一度東北に行きたいですね。次回は是非今回巡ることができなかった各所に行ってみたいと思います。今回の旅行でお世話になった方々に感謝申し上げます。

2年前の今頃、大学に行かなくなったときのお話

過去の話が続いてしまいますが

以前の記事に続き、今回もまた過去の出来事に関する記事になります。というのも、最近の日常は本当に話題にするほどの出来事もなく、モノトーンな日々が続いている状態ですので、記事にしようとしても出来ないんですよね……。ぼっち系youtuberの方のように雑談動画とかを挙げられたらいいのですが…、ブログでは流石に不可能ですね。

 

今回の記事は、2年前の今頃、すなわち私が大学1年だったときの11月ごろに果てしない絶望を抱えていた、というお話になります。これもまた、寒い寒い自分語りな内容になってしまいますが、その頃の私と似た境遇、悩みをお持ちの方に、少しでも共感を得られたらという目的も兼ねてお話していこうと思います。

 

学部の授業が退屈でしょうがなかったあの頃

当時の私(今もたまにそう感じるときもありますが)にとって、学部の講義は退屈で苦痛でしょうがないものでした。いまいち内容が理解できない、興味もわかない、それでもって実用性が皆無……。「どうして私はこんな講義を受けているのだろう?意味あるのこれ?」といった思いが常にありました。

 

勿論のことですが、受験の際に学部の中身を熟慮せず、結果としてそこに入学した私に大方の責任はございます。「何となく自分の興味・進路に影響しそうだから」という漠然な思いで学部を選択した高校時代の私が浅はかだったことに間違いはないでしょう。ただ、当時の私は「夢や目標を見出すため」に大学に入学した節もございまして、それがなるべく可能な学部はどこか、という観点でその学部を選んだこともありましたから、その目的が叶えられそうもないと悟った当時の私は余計に絶望を感じていました。

 

実用性を求め過ぎていた当時の自分

当時の私としては、「なるべく早く自分のなりたい(就きたい)職業を見つけたい」という思いが強くございました。幼稚園の頃の「プロ野球選手」以来具体的な夢というものが抱けなかった私としては、残された大学4年間という時間の中でいちはやく「夢」といえるような職業・仕事を見出したいと半ば焦りの気持ちもありました。

 

そんな焦る気持ちの中では、学部の講義も「実用性皆無」といった烙印しか押すことしかできず、次第に講義を聞かなくなり、しまいには大学にも行かないようになりました。何より「実用性」を求め過ぎていた私は、大学にも行かず「自動車学校に通った方がまだ有用性あるから」という考えのもと、わざと学部の講義の時間に被せて教習所の学科に出たりするほどの愚行を犯していました。

 

当然成績は落ち、大学中退を検討も

以上のような舐めプをしていた私が大学で当然まともな成績を取れるわけもなく、評定は前期と比べて急降下し、また学部自体に嫌気がさしていた私は学科の振り分けにも無関心になり、完全に学部を卒業するビジョンを失っていました。結果として今でも大学には在籍し、卒業が見込めるまでに回復はしましたが、当時の私は真剣に大学中退を検討し、浪人生活に挫折し大学進学を諦めた高校時代の友人と一緒に、地元の専門学校に行こうとまで計画していました。

 

将来を懸念し過ぎるあまり焦ってしまった

今になって当時を振り返ってみても、その頃の自分の考え自体は決して間違いではないと思います。ただ、少し焦り過ぎたかな、という印象は否めません。大学に通いながら資格の学校に通うこともできますし、もしかしたら追々学部の中で自分の目標といったものを見出せたかもしれません。頭ごなしに学部の講義を否定してしまったことにより、自分の体がそれを受け付けないようになってしまっていたのでしょう。

 

大学入学から約半年が経ち、夏休みを終えてからしばらく経ったまさに今頃の季節は、学生(とりわけ1年生)が理想と現実のギャップを痛感するタイミングだと思います。ギャップを感じて苦悩すること自体は決して間違ったことではないと私自身は考えています。その中で、かつての私が大学を否定し過ぎた余り中退を検討するまでになったプロセスを皆さんにお示しすることで、解決策を見出すうえでのヒントの1つになることができれば、私としてはとても光栄です。