大学ぼっちでもソロ充がしたい

大学ぼっちは選択科目の一つだと思います。自身の大学ぼっち生活で得た経験をもとに、大学ぼっち流の”処世術”をお伝えしていきます。

2年前の今頃、大学に行かなくなったときのお話

過去の話が続いてしまいますが

以前の記事に続き、今回もまた過去の出来事に関する記事になります。というのも、最近の日常は本当に話題にするほどの出来事もなく、モノトーンな日々が続いている状態ですので、記事にしようとしても出来ないんですよね……。ぼっち系youtuberの方のように雑談動画とかを挙げられたらいいのですが…、ブログでは流石に不可能ですね。

 

今回の記事は、2年前の今頃、すなわち私が大学1年だったときの11月ごろに果てしない絶望を抱えていた、というお話になります。これもまた、寒い寒い自分語りな内容になってしまいますが、その頃の私と似た境遇、悩みをお持ちの方に、少しでも共感を得られたらという目的も兼ねてお話していこうと思います。

 

学部の授業が退屈でしょうがなかったあの頃

当時の私(今もたまにそう感じるときもありますが)にとって、学部の講義は退屈で苦痛でしょうがないものでした。いまいち内容が理解できない、興味もわかない、それでもって実用性が皆無……。「どうして私はこんな講義を受けているのだろう?意味あるのこれ?」といった思いが常にありました。

 

勿論のことですが、受験の際に学部の中身を熟慮せず、結果としてそこに入学した私に大方の責任はございます。「何となく自分の興味・進路に影響しそうだから」という漠然な思いで学部を選択した高校時代の私が浅はかだったことに間違いはないでしょう。ただ、当時の私は「夢や目標を見出すため」に大学に入学した節もございまして、それがなるべく可能な学部はどこか、という観点でその学部を選んだこともありましたから、その目的が叶えられそうもないと悟った当時の私は余計に絶望を感じていました。

 

実用性を求め過ぎていた当時の自分

当時の私としては、「なるべく早く自分のなりたい(就きたい)職業を見つけたい」という思いが強くございました。幼稚園の頃の「プロ野球選手」以来具体的な夢というものが抱けなかった私としては、残された大学4年間という時間の中でいちはやく「夢」といえるような職業・仕事を見出したいと半ば焦りの気持ちもありました。

 

そんな焦る気持ちの中では、学部の講義も「実用性皆無」といった烙印しか押すことしかできず、次第に講義を聞かなくなり、しまいには大学にも行かないようになりました。何より「実用性」を求め過ぎていた私は、大学にも行かず「自動車学校に通った方がまだ有用性あるから」という考えのもと、わざと学部の講義の時間に被せて教習所の学科に出たりするほどの愚行を犯していました。

 

当然成績は落ち、大学中退を検討も

以上のような舐めプをしていた私が大学で当然まともな成績を取れるわけもなく、評定は前期と比べて急降下し、また学部自体に嫌気がさしていた私は学科の振り分けにも無関心になり、完全に学部を卒業するビジョンを失っていました。結果として今でも大学には在籍し、卒業が見込めるまでに回復はしましたが、当時の私は真剣に大学中退を検討し、浪人生活に挫折し大学進学を諦めた高校時代の友人と一緒に、地元の専門学校に行こうとまで計画していました。

 

将来を懸念し過ぎるあまり焦ってしまった

今になって当時を振り返ってみても、その頃の自分の考え自体は決して間違いではないと思います。ただ、少し焦り過ぎたかな、という印象は否めません。大学に通いながら資格の学校に通うこともできますし、もしかしたら追々学部の中で自分の目標といったものを見出せたかもしれません。頭ごなしに学部の講義を否定してしまったことにより、自分の体がそれを受け付けないようになってしまっていたのでしょう。

 

大学入学から約半年が経ち、夏休みを終えてからしばらく経ったまさに今頃の季節は、学生(とりわけ1年生)が理想と現実のギャップを痛感するタイミングだと思います。ギャップを感じて苦悩すること自体は決して間違ったことではないと私自身は考えています。その中で、かつての私が大学を否定し過ぎた余り中退を検討するまでになったプロセスを皆さんにお示しすることで、解決策を見出すうえでのヒントの1つになることができれば、私としてはとても光栄です。