大学ぼっちでもソロ充がしたい

大学ぼっちは選択科目の一つだと思います。自身の大学ぼっち生活で得た経験をもとに、大学ぼっち流の”処世術”をお伝えしていきます。

大学ぼっちが大学に行く意義を考えてみた

~なして、我は大学へ行く~

学生の中には、「大学に行く意義が分からない」と思う人がいることでしょう。実際に私も、1年の頃には「大学に行く必要ってあるのかな」なんて思い悩んだことがあります。

 

大学に行く理由としては、「大卒の肩書を得る」や「部活・サークルに精を出す」、「人脈づくり」など様々なものが挙げられます。しかしながら、大学行く理由として最も根源にあるものは、「勉強・研究をする」ということだと私は思うわけです。

 

「大学」というものはもともと「学問をする」場です。高校以前の勉強とは異なり、大学での勉強は専門性が高く、個人の興味関心に見合った学問を追求することがある程度可能になります。しかし、現代の大学では、本来の目的である「学問」の場である以上に、「社会に出る前のモラトリアム」といった機能が(とりわけ文系学部において)目立っています。

 

大学が有する本来の機能

周囲の学生がサークル活動に精を出していたり、その他諸々の交流活動によって大学生活が充実している”ようにみえる”と、どうしてもそうでない学生、とりわけ私のようなぼっち大学生は「自分の大学生活は無駄なものではないか」とか「こんな大学生活に意義はあるのか」といった具合に、自らの学生生活に自信が持てなくなることがあります。

 

ただ、大学という場はあくまで「学問を追求する」場であり、遊びに行く場所ではありません。大学の講義をしっかりと受け、試験や課題をこなし、単位をしっかり取ってさえいれば「大学生」としての職務はちゃんと果たしているのではないか、と私は考えています。「他人との交流など、社会性を育む場」としての機能があることも否定はしませんが、それはあくまで二の次三の次です。

 

また、大学の講義内容の中には、ときにやりがいが無く、勉強していてむなしくなることさえあるかと思います。「こんなことをしていて将来大丈夫かな…」なんて疑問を抱くこともあると思います。しかしそれは、ある程度割り切ってしまうしかない部分があると思います。例え自分の専攻している学問が「しょうもない」「生産性がない」と世間一般で思われるようなものであったとしても、それに対してちゃんと向き合っていれば問題ないのではないかと思います。

 

ひとまずの結論

言ってしまえば、「ちゃんと勉強できていたら大学生としては”ひとまず”OK」といったところでしょうか。大学に行く意義に関しても、そこまで深く気にする必要はないと思います。また、自分の大学生活に疑問を抱いているというのは、それだけ自分のことをしっかり考えている証拠でもあるのです。自信を持って大丈夫だと思います。