大学ぼっちでもソロ充がしたい

大学ぼっちは選択科目の一つだと思います。自身の大学ぼっち生活で得た経験をもとに、大学ぼっち流の”処世術”をお伝えしていきます。

【一人旅】寝台特急に乗って高松に行ってきました。

大学の休みを利用して

いよいよ12月に入り、2018年とのお別れも近づいていますが、皆さまどのようにお過ごしでしょうか?私は12月に入り、大学の時間割がチョロっと変わってなんと平日に2連休を勝ち取ることができました。(その分授業がある曜日はハード)これをうまく利用したいと思った私は、前々からの願望であった「寝台特急を利用して旅行をする」という計画を実行に移すことにいたしました。

 

かつては北斗星トワイライトエクスプレスなどといった寝台特急が当たり前のように走っていた日本ですが、近年ではその姿もレアなものになってきて、どちらかというと「馴染みのない」乗り物になってしまったでしょうか。しかしこれにより、単なる移動手段ではなく「寝台に乗ること」を目的にそれらを利用する方の数が増えてきたのではないか、と思われ、事実今回の私もこれに当てはまります。(鉄道にはさほど詳しくないため情報に不備があったらすみません)

 

サンライズ瀬戸に乗り高松へ

今回の旅行で私が利用したのは東京~高松間を結ぶサンライズ瀬戸」号です。私は下り列車の始発駅である東京駅から終点の高松駅までフルで利用しました。サンライズ瀬戸号は途中の岡山駅まで同じく東京から出雲市方面へ向かう「サンライズ出雲」号と連結して走行し、岡山で両者は切り離されます。

 

私自身初めての寝台列車でしたので、ワクワクしながら東京駅のホームで入線を待っていました。

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私が今回利用したのは列車の客室サービスとして一番多くの割合を占める「B寝台シングル個室」です。部屋は連結部の傍である7号車にありました。

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車両に入り、個室の中に荷物を置いた私はひとまず洗面台で歯を磨きました。シャワーも浴びようかと考えましたが、翌日の昼前に高松市内の仏生山温泉に行く計画を立てていたので、列車内では浴びませんでした。

 

乗ってみた感覚としては

個室に入って最初に感じたのは、内装の清潔感でした。かなりコンパクトにしたホテルの一室、といった具合で心地よさを感じました。また、人それぞれ感覚は違ってくると思いますが、私としては部屋の広さ(狭さ)も特に気にならず、快適な体勢でくつろぐことができましたね。

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車体の揺れに関してですが、私は2階の部屋を利用しており、うつ伏せになってくつろぐとそれなりに揺れを感じました。ただ仰向けの体勢ではさほど気にならなかったです。

 

部屋の明かりを消すと、通過する駅のホームのライトがかなり明るく感じましたね。高速で光が移るので、「今○○駅を通過しているな」というのがよく分かりました。列車が沼津駅を出発したあたりで私は寝落ち、いったん愛知県の大高付近で目が覚め、珍しい名古屋駅通過の様子を目にし、信号待ちか何かで停車した無人の岐阜駅の写真を撮ったあと私は再度寝落ちしました。

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早朝、目が覚めた頃には岡山の目の前

次に目が覚めたのは午前6時前、岡山駅の到着を前にしていた頃でした。この日は列車も遅れなく順調に走行しており、私が目覚めた直後にその旨を伝えるアナウンスがありました。サンライズ出雲号との連結切り離し作業の後、先に瀬戸号が岡山駅を発車。児島、坂出と停車した後7時半ごろには高松駅に到着しました。

 

私は昨年の9月にも高松に来ており、記憶が新しいうちに再度この地を訪れることができました。

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高松に着いた私はまず、固まった体をほぐすことも兼ねてサンポート方面を散歩することにしました。そして港のシンボルである赤灯台を見ることができたら、と思い足を運ぼうとしました、が……。

 

この日の朝は霧が凄かった!!!

サンライズ号が瀬戸大橋を渡っている頃から、窓の外に目を向けると霧がかかっており、結局高松に着いてもそれが切れることはありませんでした。「一寸先は闇」ではなく「一寸先は霧」といった具合で、Twitterのトレンドにも「霧」と打つと続いて「香川」という検索候補が出るといった感じでした。せっかくの瀬戸内海も霧に隠れてしまい、赤灯台へ向かう道も安全性を考慮して封鎖されていました……。やむを得ないので、ひとまず赤灯台は諦め、帰りに再トライすることにしました。

 

サンポートを後にした私は、琴電の「高松築港駅」のそばにある玉藻公園高松城跡)」を訪れました。

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2枚目、3枚目の写真からも、霧がかかっている様子がご覧になることができるでしょうか。かつての高松城は瀬戸内海に面した水城として特徴的な構造をしており、海水の通った外濠には「鯛」が生息しているようです。残念ながらこの日はお目にかかることはできませんでした。

 

頃合いを見て仏生山へ

高松築港駅の通勤通学ラッシュを横目に私は玉藻公園を逍遥していましたが、時間を見て私は琴電に乗車し琴平線仏生山駅を目指しました。

 

駅から歩いて10分ほど歩いたところにある「仏生山温泉」に向かい、平日11時の風呂開きと同時に入浴しました。こちらはモダンなデザインでゆとりのある空間を大いに活用した休憩室もあり、また露天風呂も自然と融合した温もりのある雰囲気でとてもリラックスすることができました。しかし痛恨の写真撮り忘れ。。。まったりし過ぎちゃいましたね。バスタオルは持っていたのでフェイスタオルを購入し(150円だったと思います)温泉を堪能してきました。

busshozan.com

温泉を後にした私は、香川のソウルフードでもあり、また自身の大好物でもあるうどんを食しました。お肉が乗ったぶっかけうどん(冷)だったのですが、これも痛恨の写真撮り忘れ。。食べることに集中し過ぎてしまった。

 

栗林公園のリピーターと化したぼっち大学生

食事を済ませた後は、昨年の訪問の際にも立ち寄った庭園栗林公園に今年もお邪魔しました。こちらの庭園、本当に大好きです。

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広大な敷地をフルに活用し、様々な顔を持つ栗林公園。皆さんも香川に、四国に訪れた際はぜひご覧になってください。

 

マリンライナーに乗る前に、もう一度サンポートへ

岡山に戻る前にまだ時間があったので、私はこの日の朝見ることの出来なかったサンポートのシンボルである赤灯台を一目見ようと、再び港へ向かいました。実はこの日は雨の予報だったのですが、早朝に霧に覆われて以降、栗林公園で通り雨に降られた以外は天気には恵まれており、夕方には雲も切れて晴れ間がのぞいてきました。これは期待できる…!

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やったぜ。

朝は霧により見ることの叶わなかった灯台、夕方にその姿を拝むことができました。左手に見えるのは女木島でしょうか。

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灯台のふもとに辿り着くまで結構歩きました。地元の方が何名かジョギングされていましたね。素晴らしいランニングコースだと思います。(自分も毎日ここで走りたい)

 

目標を達成した私は、マリンライナーに乗って本州(岡山)へ戻りました。列車の中ではウトウトしてましたね(笑)

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駅前のイルミネーションが綺麗でした…!!

 

寝台を楽しみ、高松(と岡山)も楽しむことができた旅行でした。恐らく今回の旅行が年内最後の遠出になるかと思いますが、素晴らしい一年の締め括りになりました。お世話になった皆さまにお礼申し上げます。

【2018/11】近況報告

また更新が空いてしまいました

ここ2週間ブランクを作ってしまった私ですが、この間私が何かをしていたかというと、残念ながら特筆すべきことはありません。学生生活を淡々と送っていました。単位取得のために大学へ赴き、出席点を確保し、講義が終わり次第足早に大学を去る、といった日々の連続です。。

 

学外での活動では、先日何度目かのTOEICテストを受けてきました。前回はリーディングセクションで残念な結果を叩き出してしまったので、今回の受験に当たってはこれまでで一番対策に時間をつぎ込み、本番に挑みました。それが結果に結びつけばな、と思うばかりです。

 

引っ越しの足音も聞こえ始める

前にも申し上げた通り、私は今期の大学の日程が終わり次第、現在一人暮らしをしているアパートを払い、地元での就職活動に勤しむ予定になっています。来年は「卒論」の作成に当たって不定期に大学に赴く計画になっているため、毎週決まった講義を受けに行くような、いわゆる一般的な大学生活を送るのはあと(実働期間にして)2ヵ月弱となりました。

 

それに伴い、ほんの少しずつではありますが引っ越しに向けた部屋の整理をし始めました。引っ越しに際してはなるべく荷物は少ない方がいい、ということで断捨離をしています。履き潰した靴を処分したり、ホビー品を中古屋に買い取ってもらったり(泣)

 

引っ越しの前の思い出づくりも少々

一度引っ越してしまえば、ときどき大学に赴くとはいえこちら(現在の住処)周辺の観光地を訪問する機会がめっきり減ってしまいます。そうなる前に、まだ行ったことないエリアを散策したりしていました。というのも、ここ1週間ほどは大学の秋タームと冬タームの入れ替え期であり、時間割にブランクができたので、その時間を有効活用して各地を逍遥してきました。

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遠出をせずとも、各地で色々な風景を見ることができて楽しかったです。少しは「ソロ充」ができたでしょうか?(笑)

 

これからの予定として

来週はまだ遠出の旅行をしたりといった具合ですが、その翌週からは冬のインターンシップが控えています。いずれも1DAYの短期的なものではありますが、夏休みのとき同様貴重な経験ができればと思います。

 

冬休み前にもタイミングを見つけてブログを更新できたら、と考えておりますので、その際は是非とも目を通していただけたら幸いです。今回はこの辺りで失礼します!

【一人旅シリーズ】東北旅行!~人生初の岩手・秋田へ~

大学に入って以降初の東北地方へ

10月末の週末を利用して、小学生の時以来の東北地方に行ってきました。その当時は仙台・松島辺りを旅行し、あおば通の並木と松島の海岸がとても綺麗だったことを記憶しています。また、当時は宮城県が旅行した中で最北の地でしたので、今回初めて岩手県秋田県を訪問することになります。

 

金曜日の大学の講義を終えた後、久々となる東北新幹線に乗って岩手県北上駅へと向かいました。北上ではシンプルに一泊するだけの目的でしたが、ホテルが北上川のすぐ側で、その景色も楽しみにしていたところでしたが、さすがに夜は真っ暗で何も見えませんでした。

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土曜日の朝、ホテルチェックアウト後

翌朝、ひとまず北上駅のロッカーに荷物を預けた私は、東北本線に乗って平泉へと向かいました。平泉といえば金色に輝く金色堂がシンボルの中尊寺が有名なように、平安時代奥州藤原氏が繁栄を築いた地になります。私が中学の頃初めて奥州藤原氏の存在を知った時、都(京)からずっと離れた奥州の地で都さながらの繁栄を築いた藤原氏にかっこよさを覚え、当時の中二病心がくすぶられていました。それ以来、いつの日か奥州の地を訪れて中尊寺毛越寺に行ってみたいと考えていましたので、今回の旅行でその夢が果たされることになりました。

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2011年に平泉周辺が世界遺産に登録されたこともあってからか、あいにくの雨にもかかわらず多くの観光客が中尊寺に訪れていました。駐車場横の坂を上り、本堂を参拝し、さらに奥に進んだところで資料館と金色堂の入館ペアチケットを購入し、それら二か所を堪能してきました。両者とも内部では撮影NGですので、ご注意ください。

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金色堂を含む装飾物の豪華絢爛ぶりにも感嘆しましたが、それ以上に私が感じたのは平泉という土地の広大さでした。中尊寺に限らず、毛越寺や高舘も含め広大な敷地のもとかつての藤原氏が繁栄を築いていたと考えると、そのすごさが改めて実感できました。

 

北上にもどった後、北上線で横手へ

JR平泉駅に戻った私は、駅前で昼食を済ませた後再度東北本線で北上へと向かい、預けていた荷物を取りに戻りました。ちなみに、平泉駅には改札にICカードの読み取り機がございますが、下り(花巻・盛岡)方面ではICカード利用できませんので(2018年10月時点)くれぐれもご注意ください。

 

北上駅からは北上線を利用して秋田県横手に向かいました。車窓の田園風景を眺めながら快速電車に揺られること1時間余り、横手に到着しました。横手では2時間ほど時間をつぶす必要がございましたので、駅から横手城まで市内を散策しつつ向かいました。お城の天守がある裏側の場所にはダムと自然が広がっており、周りに人もいませんでしたので気分転換に叫びたいという衝動に駆られましたが、やめました(笑)路肩に「クマ出没注意」と書かれた看板を見たときは慄きましたね。地元では「ハチ注意」はよく見ましたが「クマ注意」は初見でした。

 

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横手で時間をつぶし、鈍行で秋田へ

そんなこんなで時間をつぶした私は、奥羽線に乗って秋田駅へと向かいました。市内に住む中学時代の友人のアパートに泊めてもらう約束をしていたのです。夕方に横手を出て鈍行列車に揺られること1時間余り、秋田駅に着きました。写真は駅構内に飾られていたなまはげ氏。

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駅の中央改札口で待ってくれていた友人と再会し、私たちは県の郷土料理である「きりたんぽ鍋」比内地鶏を堪能しました。写真を撮り忘れてしまったのが悔やまれる……。

 

レストラン街の一角にあるお店に入ったのですが、たまたま隣の席に座っていた男子大学生らしき2人組も、我々と同じく県外から来た人とそれを迎えた地元の学生、といった感じでシンパシーを覚えました。

 

友人宅で一泊、翌朝は悔やまれる雨

食事を済ませた後、友人の大学生活の話を聞かせてもらいながら友人宅へと向かいました。彼の住むアパート近くのスーパーに寄った際には、学部の同級生に遭遇したらしく一言二言交わしていました。大学生活の話を聞いたりしてても「大学生やってんなぁ」といった感じで、羨ましくもなりました。ちなみに私は大学生活に関して「平和にやってるよ」とだけ話しました(笑)それ以外にあまりないですからね……。

 

私がちょうど彼のもとを伺ったときにもいろいろ忙しいイベントを消化した直後だったようで(泊めてくれてありがとう)、また私自身も長時間の移動でかなり疲労があったため、夜は早めに就寝しました。翌朝、普段より寒い感覚に目が覚め、ふと外に目をやると小雨が降っていました。その後も雨が止んだり強くなったりの繰り返しで、天気の移り変わりの早さに少々驚きを感じました。

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目的地を変更し、仙台へ

当初は角館、田沢湖辺りをウロチョロする計画を立てていたのですが、天候がさえないことからそれらの場所を断念して目的地を「仙台」へと変更しました。太平洋側は天気も良さげなようで、また私自身も小学生の頃以来久しく仙台には行く機会がありませんでしたので、その際に終バスを逃して見ることが叶わなかった伊達政宗像」を一目見ようと決めました。

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秋田駅からこまちに乗車し、盛岡を過ぎた辺りからは雲も切れて青空が見えてきました。実は盛岡で乗り換えて「遠野物語」で有名な遠野に行こうかな、とも考えたのですがそれはまたの機会にしました。田沢湖なども含めて来年は行ってみたいですね…!それまでに遠野物語も一読しないといけませんね。

 

お昼前に仙台に到着。私にとって11年ぶり2度目の杜の都です。最初は駅に着いたタイミングでお昼ご飯を食べようとも考えましたが、人も多く何よりお昼時でしたので、先に仙台城跡へと向かいました。朝方雨が降っていた秋田とは打って変わって仙台は晴れており、適度に風もあり心地よかったので私はあおば通の散歩も兼ねて徒歩で城跡へと向かいました。

 

割と遠かったゾ!

駅を出てひたすら西の方へと歩を進めました(もののけ姫かな?)地図を見る限り「2キロちょい」といった具合でしたので30分もあれば行けるかなと高を括っていましたが、城跡周辺は坂が続き思ってより足が疲れましたね(笑)

 

その代わりといってはアレですが、道中の散歩はとても心地よかったです。紅葉一歩手前の並木道を抜け、川を越えて坂道を登り切った先に、目的の男はいました。

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 11年越しにやっと出会えたマサムネさんです。お目見えしたときは感無量でしたね。政宗像周辺では地元の方々が踊りを披露されていました(すずめ踊りだったかな?)、観光客の皆さんも(私も含め)楽しそうにご覧になっていましたね。また、さすがに高台に登っただけあって城跡からの景色も良かったです。仙台市内を一望できました、かつての政宗はどのような景色を見ていたのでしょうか。

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その後は市内の各所を巡り、帰路へ

目的の政宗への謁見を達成した私は、その後地下鉄に乗って市内各所を巡りました。ちょっと足を伸ばして松島にも行こうかな、と一度は考えましたが、これ以上移動が伸びるのはしんどいなぁということで仙台駅からほど近い場所を幾つか巡ることにしました。

 

一通り巡り満足した頃には日も傾きかけていました。日曜の夕方ということもあり新幹線の指定席は満席尽くめでしたので、帰りはやまびこに乗ってのんびりと戻りました。夕焼けの白石蔵王駅周辺が綺麗で心が温まりましたね。家に着いた頃には移動続きともあってさすがにヘロヘロでしたが、素晴らしい3日間を過ごせたと思えば、そんな疲れも忘れることができました。

 

また行きたい…!

大学を卒業する前に、もう一度東北に行きたいですね。次回は是非今回巡ることができなかった各所に行ってみたいと思います。今回の旅行でお世話になった方々に感謝申し上げます。

2年前の今頃、大学に行かなくなったときのお話

過去の話が続いてしまいますが

以前の記事に続き、今回もまた過去の出来事に関する記事になります。というのも、最近の日常は本当に話題にするほどの出来事もなく、モノトーンな日々が続いている状態ですので、記事にしようとしても出来ないんですよね……。ぼっち系youtuberの方のように雑談動画とかを挙げられたらいいのですが…、ブログでは流石に不可能ですね。

 

今回の記事は、2年前の今頃、すなわち私が大学1年だったときの11月ごろに果てしない絶望を抱えていた、というお話になります。これもまた、寒い寒い自分語りな内容になってしまいますが、その頃の私と似た境遇、悩みをお持ちの方に、少しでも共感を得られたらという目的も兼ねてお話していこうと思います。

 

学部の授業が退屈でしょうがなかったあの頃

当時の私(今もたまにそう感じるときもありますが)にとって、学部の講義は退屈で苦痛でしょうがないものでした。いまいち内容が理解できない、興味もわかない、それでもって実用性が皆無……。「どうして私はこんな講義を受けているのだろう?意味あるのこれ?」といった思いが常にありました。

 

勿論のことですが、受験の際に学部の中身を熟慮せず、結果としてそこに入学した私に大方の責任はございます。「何となく自分の興味・進路に影響しそうだから」という漠然な思いで学部を選択した高校時代の私が浅はかだったことに間違いはないでしょう。ただ、当時の私は「夢や目標を見出すため」に大学に入学した節もございまして、それがなるべく可能な学部はどこか、という観点でその学部を選んだこともありましたから、その目的が叶えられそうもないと悟った当時の私は余計に絶望を感じていました。

 

実用性を求め過ぎていた当時の自分

当時の私としては、「なるべく早く自分のなりたい(就きたい)職業を見つけたい」という思いが強くございました。幼稚園の頃の「プロ野球選手」以来具体的な夢というものが抱けなかった私としては、残された大学4年間という時間の中でいちはやく「夢」といえるような職業・仕事を見出したいと半ば焦りの気持ちもありました。

 

そんな焦る気持ちの中では、学部の講義も「実用性皆無」といった烙印しか押すことしかできず、次第に講義を聞かなくなり、しまいには大学にも行かないようになりました。何より「実用性」を求め過ぎていた私は、大学にも行かず「自動車学校に通った方がまだ有用性あるから」という考えのもと、わざと学部の講義の時間に被せて教習所の学科に出たりするほどの愚行を犯していました。

 

当然成績は落ち、大学中退を検討も

以上のような舐めプをしていた私が大学で当然まともな成績を取れるわけもなく、評定は前期と比べて急降下し、また学部自体に嫌気がさしていた私は学科の振り分けにも無関心になり、完全に学部を卒業するビジョンを失っていました。結果として今でも大学には在籍し、卒業が見込めるまでに回復はしましたが、当時の私は真剣に大学中退を検討し、浪人生活に挫折し大学進学を諦めた高校時代の友人と一緒に、地元の専門学校に行こうとまで計画していました。

 

将来を懸念し過ぎるあまり焦ってしまった

今になって当時を振り返ってみても、その頃の自分の考え自体は決して間違いではないと思います。ただ、少し焦り過ぎたかな、という印象は否めません。大学に通いながら資格の学校に通うこともできますし、もしかしたら追々学部の中で自分の目標といったものを見出せたかもしれません。頭ごなしに学部の講義を否定してしまったことにより、自分の体がそれを受け付けないようになってしまっていたのでしょう。

 

大学入学から約半年が経ち、夏休みを終えてからしばらく経ったまさに今頃の季節は、学生(とりわけ1年生)が理想と現実のギャップを痛感するタイミングだと思います。ギャップを感じて苦悩すること自体は決して間違ったことではないと私自身は考えています。その中で、かつての私が大学を否定し過ぎた余り中退を検討するまでになったプロセスを皆さんにお示しすることで、解決策を見出すうえでのヒントの1つになることができれば、私としてはとても光栄です。

【今更?】習い事が続かなかった小学生の頃を悔やむぼっち大学生

小学生の頃の習い事

皆さんは小学生の頃(もしくはそれ以前から)何か習い事をされていましたか?私は小学4年の頃まで書道をしており、4年の秋からは学習塾に通い始めました。実はそれ以外にも、親としてはピアノや英会話教室などの習い事を私にさせたかったようですが、当時は極度の面倒くさがりだった私はそれらを固辞し、やむなく書道だけは折れて始めた、といった具合です。

 

私は小学校に入学した時から字の書き方に癖があり、また書くスピードがかなり遅く、それらを矯正する目的で習字教室に通い始めた節があります。ただ、実際に教室に通い始めると、学習の大方の時間は「硬筆」ではなく「毛筆」に割かれ、私は慣れない書道用具を不器用に扱いながら筆を走らせて(歩かせて)いました。

 

習字教室には同級生もいた

当時通っていた習字教室には学校のクラスメイトもいました。それまで学校ではさほど話したことのない子でしたが、私が教室に通い始めたのを機に学校でも度々話すようになりました。偶然学校の席替えで隣同士になったときも、よく話をして(授業中に)先生に注意されてしまうこともありました。(すいませんでした)

 

私は小学校に入る前に引っ越してきたため、それ以前に幼稚園や保育園で仲のよかった子が学校にはいませんでした。そのため、習字教室で出会ったその子がいわば学外で最初に親交のできた同級生でした。その子は私が通い始めるずっと前から書道を習っていたので、私とは比べ物にならないくらい字が上手かったです。その子に追いつきたいという思いが当時の私にも少なからずあったため、しばらくは真面目に教室に通っていました。

 

しかし長続きしなかった…

練習を重ねるうちに、徐々にまともな字が書けるようになってきた私ですが、当時の私にはよくない”癖”がありました。それは「他人と自分の作品を比べてしまう」ということでした。先ほど申し上げた通り私の字は少なからず癖があり、毛筆に関しても矯正しつつあったとはいえまだ名残が残っていました。それを異様に気にかけていた当時の私は、自分の字が他人のものとどこか違うように見えて、「カッコ悪いな…」というように悪く捉えていました。

 

一度だけ月刊誌に私の作品が掲載されたこともあるのですが、幼心に当時の私は「忖度が働いたのではないか」というような気持ちになっていました。勝手に申し訳なさを感じていた当時の私は、意欲喪失も相まって結局書道教室を辞めてしまいました。両親と教室の先生にも「もう少し続けてみないか」と相談されましたが、私はそれを断ってしまいました。

 

そもそも、なぜこのタイミングでこの話なのか

先日も申し上げた通り、私は学祭期間を利用して実家に帰省したのですが、そのときに自室の書棚を整理していたところ、かつての書道の月刊誌を見つけたのです。久々に当時の自分の作品を見て、確かに癖はありましたが小学生の頃の私が思い悩むような程のものではなかったように今となっては思えました。せっかく上達してきたのに、かつ仲良くなった同級生もいたのに、自分の勝手な思い悩みで書道を諦めてしまったことに今更ですが後悔している自分がいたのです。

 

もう少し書道を続けていれば、ただでさえ取り柄の少ない私にも「特技」といえるようなものごとが増えたのではないかな、と今になって小学生の頃の過去を悔やむぼっち大学生の自分語りはこれで以上になります。

 

通学路を日々アレンジしています。

大学ぼっちは単調な日々の繰り返し

主に「講義を受けるため」だけに大学へ通っているぼっち大学生にとって、日々の大学生活は自宅とキャンパス間の往復の繰り返しと化しています。退屈にある程度慣れている私自身にとっても、何週間も単調な日々が続くとさすがに億劫になってしまいます。そんなモノトーンな日々にちょっとしたアクセントを付けるべく、私は日々通学路を変えながら大学へと通っています。

 

昨日とは違う世界

私は今期、運よく午後から授業がある日が多く、午前中は時間にゆとりがあります。その時間を利用して、大学までの通学路を日々アレンジしながら散歩することが最近の日課になりつつあります。これまで降車していた駅の1個前の駅で降りて、そこから大学に向けて歩いてみることで、これまで見たことのない風景に出会えることができ、新鮮な気分になることができます。

 

また、大学までの道のりが長くなる分、よりルートの選択肢が広がることになります。単に最短経路を通るのではなく、脇道にそれてみたり寄り道をすることで新たな出会いがあったりもします。これだけでも、色合いのない単調な日々に少しでも色付けができた気分になります。

 

自宅を出る時間も早くなり、余裕が生まれる

これまで、特に大学1年の頃などは、私は講義が始まる5分くらい前から逆算して、その時間に間に合うようにギリギリまで自宅を出ないようにしていたのですが、ここ最近通学の途中で寄り道をするようになってから、家を出る時間も自ずと早くなり、次第に寄り道によって削られる時間分より余裕を持って出発をするようになったため、大学に着くのがこれまでより俄然早くなりました。

 

昼休み後最初の講義などは、大学で食事を済ませた学生が早くから教室に待機していることもあり、始業時間5分前などに教室に入ると既に席が埋まっている、なんてことを多々経験してきたわけですが、今期はそういったことがございません。寄り道散歩さまさまです。

 

運動・リラックスで一石二鳥

私はここ最近恥ずかしながらジョギングをサボっていたため、散歩をすることでいい運動になっています。下宿先に戻ってしばらく寝付けない日々が続いていましたが、おかげさまでここ最近はそれなりに眠れています。また、散歩をすること自体も良い気分転換になるので、肉体的にも精神的にも良く作用してくれていてまさに「一石二鳥」です。

 

今後も寄り道散歩を続けて、新しい風景に出会えればと考えています。いい写真が撮れたら、それらも共有していければ、と考えています。

 

通学路の風景

 

【緊張】授業開始後最初の一週間を終えて

大学の講義が再開してから一週間

9月末に大学の後期授業が始まり、最初の一週間が過ぎました。これといった出来事もなく、淡々と講義をこなしていく日々にはなりましたが、一週間まともに大学に通うのは今期が(恐らく)最後になりますので、それなりに一日一日を噛みしめつつ相変わらずぼっちではありますが過ごすことができました。

 

とは言いつつ、授業期間が再開した直後の最初の一週間ってけっこう緊張しますよね。「講義内容についていけるか」とか「教授はどんな人か」とか「かつてのクラスメイトがいて気まずくなると嫌だな」とか。。この感覚を味わうのは(大学2年前期から)もう4回目になるのですが、それでも未だにこの期間は緊張してしまいます。

 

一週間終えた感想・印象など

私の今期の時間割を振り返ってみると、月曜が夜の6限まで入っていてなかなかハードです。その代わりといってはアレですが、木曜日が全休となった(正確には履修申請していた講義が抽選で外れてしまった)ので、一週間の途中に小休止を挟むことができます。月曜から土曜まで通っていた前期に比べると幾分楽になりましたね。

 

その月曜日ですが、昼過ぎから夜の8時前まで講義が続くため、終盤はかなりお腹がすきました。途中の15分間の休み時間に急いで菓子パンを手配して、小腹を満たして事なきを得ました。また、6限終わりとなると流石に大学構内にいる学生も少なくなるので、普段の喧騒とは異なる静寂を味わうことができました。

 

前期と連動した講義もいくつかありました。引き続き履修することは強制ではないので、思っていたより人数の増減があったりメンバーの顔触れ(あんまり覚えていませんが)も変わっていました。

 

6限は学生も少なく静かでした

繰り返しにはなりますが、私は今回はじめて学部の6限の講義を履修しました。講義が行われる教室が狭かった時点で少し察しましたが、やはり学生の数も少なく「仲良しグループ」みたいな感じの人たちもいなかったため、落ち着いた雰囲気の中で授業を受けることができました。先生も優しそうな雰囲気の方で、声が柔らかくて眠りそうになってしまいましたが(笑)

 

大学に通うのが億劫なぼっち大学生の中には、教室内の雰囲気がイヤ(ほとんどの場合は喧騒で溢れかえっている)という方もいらっしゃるかもしれません。確かに、周囲がざわざわしている中で自らだけ追いやられている感覚があって負い目を感じますよね。。気にしないのが一番ですが、どうしてもそのような雰囲気が苦手な方は、遅めの時間帯の講義を受けてみてはいかがでしょうか。感覚としては忌避されがちな「1限」より学生数が少なかった印象を受けました。

 

他の大学ぼっちの勇姿も見ながら

youtubeで活動されているぼっち大学生の中にも、授業開始後の日常風景を動画にされている方がいらっしゃいますよね。私も最近、それらを拝見しながら「自分も頑張ろう」という気持ちになって寝るようにしています。この気持ちのまま、後期の日程を終えるまで止まることなく完走していきたいと思います。

 

下宿(アパート)と大学の往復の中で

講義が終わればすぐ帰る

以前の記事【ブログでも】ぼっち大学生の一日 - 大学ぼっちでもソロ充がしたいでも少し触れましたが、大学ぼっちにとって”大学”という場所は基本「講義を受ける」ためだけに行くところとなっています。これは高校以前の「帰宅部」に通じるものがあるでしょう。

 

自分だけの時間が多く確保されている分、寄り道なども可能になるわけですが、ぼっちになった大学2年の頃からは帰宅途中に寄り道をするような機会も減りました。それはひとえにアルバイトを始めたことも要因としてあるのですが、単純にバイトがない日で時間に余裕がある日も、真っ直ぐにアパートに戻る「直帰」が習慣になってしまっています。

 

昔はゲーセンなども行っていた

大学1年の頃はよくゲームセンターに寄り道をしていました。自分は基本的にプライズ目当てなので、UFOキャッチャーに対峙することが毎回の目的であり楽しみであったのですが、次第に金銭面の問題やプライズを欲しいという熱が弱まったことにより、自然とUFOからは離れていきました。

 

アーケード版の音ゲーも少しだけ練習していた時期がありました。音ゲーを嗜みたかったぼっち大学生 - 大学ぼっちでもソロ充がしたいでも申し上げた通り、高校時代は音ゲーを始めることを渋っていましたが、大学に入り「そろそろ始めてみようか」と一念発起して思い切ってチャレンジしました。しかしながら長続きせず、アーケードからも離れることになりました。。

 

なかなか外出する気が起きない

ゲームセンターもそうであったように、私は基本的に大学帰り及び休日に外出するときは単独行動ですので、あまり気にしない方ではありながらもやはり繁華街や人が多い場所に独りでいることへ対して後ろめたさを感じるようになりました。行こうと思えば行ける範囲でとあるイベントが行われているときなど、何となく「行こうかな~」という気にはなるんですけど、いざ外出するとなるとなかなか足が動かないんですよね。。

 

他人の視線(そもそも向けられていないとは思いますが)はなるべく気にしないようにしているのですが、それでも無意識のうちに街中に独りでいることを気にしてしまいます。

 

人が少ない場所に行くようになった

以上のような思考の巡り合わせから、私は人の少ない、言い換えれば落ち着きのある場所へ足を運ぶようになりました。それは決して危ない意味とかではなく、例えば庭園とか、城跡とか、冬の海辺とか、若い人があまり行くことがないような、その中でリラックスできるようなスポットのことを指しています。 

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youtubeで活動されている「ぼっち系youtuber」の中にも、田んぼの中や森の中で日常動画や雑談動画を撮っている方もいらっしゃいますよね。私の外出スタイルとよく似ていてシンパシーを感じます。

 

よほどアウトドアな人間ではない限り、一人で積極的に外出するのは意外と疲れるし、たまに虚しさも覚えます。毎度毎度小旅行程度の一人旅を敢行するのも時間面・資金面で限界がございます。かといってずっと部屋の中に引きこもっているのもまた問題がある気がします。

 

普段の日常においても、軽い気持ちでふらっと立ち寄れるようなスポットを見出して、リラックスする習慣を付けていきたいな、と近頃改めて感じているぼっち大学生でした。